令和三年師走三日 雑感
公開日記的なものをやってみることにした
日にちの表記が仰々しいのは「2021/12/03」のようにすると「大した事のない記述」のように自分で感じてしまうため
Twitterより重く、ブログより軽い場がほしいと思ってのこと
Twitterはツイートの「意味」が重要で、「しみじみと考える」ということに向かない
ブログは研究発表的な場として考えているため結論のない雑感を書きたいと思わない
話題ごとではなく日にち単位にしたのは「Atomicにしない」ため
Atomicな記述の間にAtomicにしきらないただの「話題」が並ぶことにあまりプラスの意味を感じない
例えばこの「公開日記的なものをやってみることにした」という話は、今のところそういうタイトルをつけたページを作って「やってみることにしたんですよー!」と言いたいようなものではない
他の人のプロジェクトを見て違和感を覚えることは特にないが、自分の公開プロジェクトでは整えておきたいと感じる
必要があれば切り出して整える
なお毎日は書かない
続けて書く日があるかもしれないが、毎日書こうという意気込みは持たない
のらてつ研究所で何をしたいのかを考えていた
「見せられる外部脳」を目指そうとしていたのだが
そうしている人たちに対する憧れとして
しかし、どうもそれは自分の方向性として合っていないようだ
他に場所があるということ
Noratetsu Lab
Twitter
非公開プロジェクト(現在アクティブなのが10ある)
Unnamed Camp
のらてつ研究所でこそやりたいのは何か?
頭の中の「生活」を、他者が読んですんなり解る形にして見せたい気がする
主張を書くのではなく、思索を深めるのでもなく
(それらを排除するわけではないが、副次的な要素と考える)
つまり自己紹介
「(世界に対して)言いたいこと」は多々あるが、その内容やそれを言うということが自己像と強く結びついてほしいかというとそうでもない
そういうものは、Twitterで呟いたとしても機械的にサルベージしてScrapboxに格納する必要はないかもしれないと思った
よってやり方を変えようと思う
エッセイを書くようなイメージで書いていく
基本的には文章ではなくアウトラインの形だが
「こうではないようだ」の積み重ねによって浮かび上がってくるのかもしれない
しかし願望は確かにあるから「こうじゃない、別の何か」を見出したくてもがいている
それを探り当てるにはやはり「問う」しかないのだろう
動詞としては「考える」より「問う」が効く
ここ数日でCSSの使い方にプチ革命
色指定以外でもカスタムプロパティ(変数)を使えばいいということに思い至った
ウィンドウサイズでの場合分けが整理された
計算の工程に名前を付けることによって意味が明解になる
コードが読みやすく、後から勘違いで誤った変更を加えにくい
HTMLとCSSがある程度読めるようになったので、Scrapboxのコードを細かく見てみた
UserCSSを書くとき、どういう数値を設定すべきなのかがわかってきた
感覚ではなく根拠ある数値設定ができると良いと思う
過去に書いた場当たり的なCSSをちょこちょこ修正してスッキリした気分
のらてつ研究所では端的に書いているしNoratetsu Labも硬い文体にしており、柔らかく書くということから最近遠ざかっていて無意味に圧の強い書き込みになってしまったかもしれない
「主張」をしたかったのではなく「私の中ではこんな考えが生まれています」を共有したかっただけなのだけども
あと一度に考えることが多すぎるかもしれない?
全員の全ての書き込みが誰かの何かの呼び水になったらいいよねと思っている
そこに少しの工夫が必要なら、それが意識されたら良いだろうと思う